古 代
飛鳥奈良
平安時代
鎌倉時代
室町時代
戦 国
江戸時代
明治維新
世界大戦
戦 後
源 氏
北条氏
その他の御家人
摂家将軍、皇族将軍
鎌倉時代 TOP
鎌 倉
歴史全般
HOME NAVI




Area  最明寺入道 北条時頼


鎌倉幕府5代執権 幕政充実に努め、引付衆の設置などを行った
1256 (康元元)年 11月23日出家し、最明寺殿と呼ばれた
恩顧の将士多数が、同時に出家したという
 北条氏  時宗  Area 明月院  Area 建長寺  Area 韮山・伊豆長岡

『徒然草』第216段.最明寺入道


 最明寺入道(さいみやうじのにふだう)、鶴岡(つるがをか)の社参(しやさん)の次(ついで)に、足利左馬入道(あしかがのさまのにふだう)の許(もと)へ、まづ使を遣はして、立ち入(い)られたりけるに、あるじまうけられたりける様(やう)、一献(いつこん)にうちあはび、二献にえび、三献にかいもちひにてやみぬ。その座には、亭主夫婦、隆弁僧正(りゆうべんそうじやう)、あるじ方(がた)の人にて座せられけり。
 
さて、「年ごとに給はる足利の染物、心もとなく候」と申されければ、「用意し候(さうらふ)」とて、色々の染物三十、前にて女房どもに小袖(こそで)に調(てう)ぜさせて、後につかはされけり。

 その時見たる人の、近くまで侍(はべ)りしが、語り侍りしなり。

北条時頼の墓
2000.11 撮影 北条時頼の墓 明月院、旧最明時跡

 現、明月院 一帯は時頼公が寂した最明寺の故地。父は時氏、母は安達景盛の娘で 賢母と言われ、徒然草(第184段)にも登場する松下禅尼の次男として1227(安貞元)年 に生誕。1246(寛元4)年19才で五代執権職につく。1253(建長5)年 建長寺を建立  1256(康元元)年11月23日、30才で出家、執権職を長時に譲る。  1263年11月22日、37才の生涯を終える。

   印は相互LINK
北条時頼 よろパラ 〜文学歴史の10〜 日本史人物列伝
石井進 「北条時頼廻国伝説の真偽」 『別冊歴史読本30 もののふの都 鎌倉と北条氏』.新人物往来社
鉢木 佐野源左衛門常世と最明寺時頼 北条時頼の諸国遍歴の真偽
鉢木 北条時頼関係 謡蹟めぐり  
佐野源左衛門常世と鉢の木伝説 滑川市「福寿大学」講演より
北条時頼 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』